「ママ君頑張れ!」

パパ君より(武山 彰吾さん)

93年3月、台湾の友人と一緒に出かけ、日本と台湾を駆け足で過ごし、約二週間後にニューヨークに戻ってきた妻(通称ママ君)が、躊躇の末に意を決して「わたし、衆議院議員に立候補したいんです。」とのたまった。

耳を疑い「なに?おまえ正気か?狂ったか?」『どこかで食べたゲテ物が頭の方にきたのなら胃薬か下剤か内科だし、そうじゃなければ精神科行きだな。』と茶化した気持ちで顔を見るとマジである。

かくして我が家の動乱が始まった。

それは滞米20年のマンネリからの脱出を賭けたママ君の反乱であったが、本当に日本の政党が全く政治経験のない一主婦を公認するのであろうかと半信半疑であった。

配偶者の公認がないと党の公認はもらえないと言う。で、いつまでに返事するのかと聞くと、三日後だという。

本当に何の経験もないアメリカ在住の専業主婦に近い女性を日本の政界が必要としているのだろうか?それが本当なら面白い。きっと何かが起きつつあるのだろう。
それに「幸運の神様」はのっぺらぼうで前髪だけしか生えていないという。そしてそののっぺらぼう様はあと三日だけ前を向いていてくれるが、いったん後ろを向いたらつかもうにも後ろに髪が無いというお話なのである。

パパ君の好奇心に助けられて、のっぺらぼう様の前髪をつかんだママ君の次なる難題は子供達の説得であった。

「え?ママなに考えてるの。毎日の食事はどうするの?掃除は?洗濯は?学校や習い事の送り迎えは?それから????ママ僕達を捨てて行くの?」言葉に詰まっているママ君を見かねて「じゃ、みんなにとってママは食事を作る人で、掃除婦で、洗濯屋で、運転手で、便利屋ってわけだ」そして13才の娘に「あなたが大人になってお母さんになったら、ずっとそんなふうにしたい?」と聞くと首を横に振り、子供達はママ君の人生は自分達の付属物ではなく、別個の独立した人生なのだということを理解したのです。こうして難関を突破したママ君は、銃後の守りをパパ君に託し、整理もそこそこに後ろ髪をばっさり切って日本へ向かったのでした。

その後、13才15才18才だった3人のティーンエイジャーはそれぞれ20代になり、それぞれの道を歩んでいる。

パパ君は娘が18才になり西海岸の大学に入ったのを見届けて、日本に本拠を移した。パパ君が渡米したのは1969年。正味でも4分の1世紀以上はアメリカで過ごしたわけですが、その内の20年を、ママ君は普通の妻として、三人の子の母親として、ニューヨークの補修授業校の教師として、米国の東海岸で過ごしていたのです。
それがある日突然、運命の糸に手繰り寄せられて衆議院議員になってしまい、4度目の総選挙もクリアしてしまった。

まだまだ国会に占める女性議員の数は少ない。女性議員の数が増えれば、その数だけ男性議員は議席を明け渡さなければならないのだから、クォータ制のような法案はなかなか通らないだろう。

世の中を変えるにはすごいエネルギーがいりますが、めげずに頑張って欲しい!



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