カザフスタン紀行(視察報告)

カザフスタンの国旗

(2004年9月28日〜10月4日)

 カザフスタンにて、「第20回 人口と開発に関するアジア国会議員代表者会議」(APDA)が開かれました。
各国の議員・政府・NGO代表との交流を通じて、人口と開発に関する国際的な世論形勢をどう進めるかについて、貴重な意見交換を行いました。
 そして、1997年に遷都された新首都・アスタナを、さらに車で120キロ程離れた穀倉地帯ショルダンジーを視察しました。バクバクティでは、カザフスタン系の農家と朝鮮系の農家を訪問しました。

 次の視察報告を是非、お読み下さい。





 
 もともとソビエト連邦のひとつであったカザフスタンは、13年前に独立しました。2004年9月27日、成田からソウル経由でカザフスタンの元首都・アルマティに向かいました。ソウルから乗り合わせた人々は、私たち日本人とそっくりの顔つきでした。
 つい日本語が通じるかと想像していると、みなロシア語のようでした。
 
 週2便のソウルよりカザフ行き直行便のため、ほぼ満席でした。みなさん、どのくらい日本からカザフスタンが離れているか、ご存知ですか?中央アジアの北はロシア、西にモンゴル、中国など5カ国と国境を接する内陸国で、国土のおよそ半分は砂漠、半砂漠地帯となっています。豊富な天然資源と穀倉地帯があることから、中央アジアでは経済的に安定している国です。国土は日本の約7倍、人口は日本の約8分の1の約1500万人、ロシア連邦に次ぐ、大きな国です。飛行機でソウルよりアルマティまで約5時間かかりました。

 カザフスタンはシルクロードのオアシス都市からウラル・シベリアへのキャラバンルートの中継地として発展し、戦後は旧ソビエト連邦の大規模農地開拓の舞台となりました。1991年に独立し、旧首都・アルマティは今でもカザフスタン最大の都市です。シルクロードで発展した都市で、130もの人種が入り混じり、なかでもカザフ民族は、ジンギスカンの末裔と言われる誇り高い民族です。



 人口約120万人、日本の札幌と同じく北緯43度に位置しており、夏冬の寒暖の差が激しいそうです。私が滞在中の10月3日、市制150周年の式典が盛大に行われていました。国民のほとんどは、ロシア語かカザフスタン語しか話しません。どこへ行っても英語が通じないので少々困りました。政府は小学校から、英語、フランス語の教育をはじめたそうです。学校教育では、日本の武道や文芸も教えており、今後、将来的にはエネルギー関連の日本企業の増加が見込まれることから、日本との関わりが深まる可能性を感じます。


 街の通りは碁盤の目のように整然と区画されていて、車が走りやすくなっています。石油や天然ガスなどの天然資源が豊富なため、ガソリンは1リットル40円です。各地を移動中、先ず目についたことは、車の数が多いことです。アウディやベンツなど、ドイツの高級車や日本車が10分の1くらいと多く、あとは中古の日本車が目立ちました。

 日本では10万円ほどで売られている中古車が、現地では70万円もするそうです。街では古い車が多いため大気汚染がひどく、車の窓を開けることができないほどでした。交差点の青信号は一秒間点滅するとすぐに黄色に変わります。車のほとんどは黄色信号(停止信号)で発車し、車線も定かではないので交通事故が多いそうです。街全体の雰囲気は昭和30年代初頭の日本のようでした。

 スーパーは24時間営業しており、品揃えはとても豊富なのに驚きました。例えば、石鹸。30種類以上が陳列されていました。スーパーで一番面積をとっていたのが、お酒売り場です。冬の寒さが厳しいからでしょうか。ウオッカをはじめ、実に様々な種類のお酒があり、見ているだけでも楽しめます。しかし、所得が国民ひとり120ドルということで、消費は商品の量に比べ、売れ行きが思わしくありません。 


 このアルマティで、9月28日、29日両日、「第20回 人口と開発に関するアジア国会議員会議」(APDA)が開かれました。会議後、360キロメートル北に位置する、7年前にできた新首都・アスタナを訪問しました。アスタナはカザフ語で「共生」という意味です。夏の最高気温は30度に達しますが、冬はマイナス30度以下になる日もあるそうです。

新首都アスタナのシンボル・バイテレク塔


 南部に位置する旧都市アルマティから1997年に遷都され、首都機能が移転しました。7年前は約25万人、現在約60万人の都市ですが、2030年までに100万人都市にする整備が進められています。

  4年前、新首都アスタナの都市設計コンペが開かれ、世界20カ国の著名な建築家27人が参加し、日本の黒川紀章氏が優勝しました。設計において黒川氏は、建築家として40年持ち続けている「共生」や、「成長」に対応するメタポリズム(新陳代謝)の思いをふんだんに盛り込んだそうです。

新首都アスタナの新官庁街


 現市街地を生かしながら、官庁街や住宅地を帯状に配置し、都市が拡大しても過密問題などが起きないような「成長する都市」とし、雨水や、ゴミのリサイクルシステムも整え、自然環境との共生も打ち出しています。現在はその設計に則った街づくりが進められており、街ではあちらこちらに建築機材があふれていました。
 
 街にはわりと背の高い建物もあるのですが、医療水準は高いとは言えません。医者と教師の給料はとても低く、生活が苦しい状態と聞きました。自由化が進んだビジネスの分野とは異なり、「医療は基本的に無料」という制度のため、医療設備も、人材育成も国会予算の枠のなかで決定されます。都市部の一般病院でも、医学の国際語である英語を話す医師は稀だそうです。




 次に、首都アスタナより、車で120km離れたショルダンジーを視察しました。ここはウクライナから続く黒土地帯で、土壌の栄養が豊富な地域です。良質の小麦が採れることが有名で、穀倉地帯とも呼ばれています。ソビエト連邦の時代からある三大小麦研究所のひとつに挙げられるほどの穀物研究所があり、ブレジネフ時代は社会主義農業の模範の地として、もてはやされたそうです。

 ショルダンジー周辺は降水の乏しい地域なので、いかに水を保持するかが農業を営むキーポイントとして研究されてきました。この地域で作られる様々な作物の研究は、京都大学とも提携して行なわれています。現在もロシアと連携し、麦や米のほか、オリジナルの豆の種類の開発、環境モニタリングなどもさかんで、アメリカの大学とも共同研究を進めています。6000万ヘクタールもの大地で、土壌保護や農作物の開発が実施され、小麦を中心に肥料や、トウモロコシなど家畜の飼料に関する研究も重ねられてきました。研究は主に小麦に特化されていることもあり、小麦が良質なことから国際市場での商品価値があるのですが、現在は販売ルートが問題で、なかなか世界に向けて販売できないのが残念です。 




 再び、首都・アスタナより、飛行機で一時間半のアルマティに戻り、アルマティから北へ約160km離れた人口5000人のバクバクティ(カザフ語でタンポポの意味)という村に向かいました。カザフスタンは広大な砂漠で覆われており、車窓から見る景色は砂漠と土漠が果てしなく広がるばかり。はじめて360度の平らな地平線を見ました。
 砂漠以外はほとんどが牧畜(放牧)で、米、麦、とうもろこし畑と続いておりました。

 バクバクティでは、カザフスタン系の農家と朝鮮系の農家を見学させていただきました。カザフスタン系の農家では、牧畜を中心に営んでおり、若い息子夫婦が親と同居していました。食生活はすべて自給自足で、手づくりの乳製品と、手づくりの野菜、果物、その果物から作ったジャム、自家製のパン・・・・。自然の恵みが豊富な、昔なつかしい日本の自給自足時代を思わせる品々で、私たち日本人を歓迎してくれました。カザフスタンでは、家系を継ぐのは末っ子の男の子で、親の面倒を見るそうです。

 家の造りはたいへん古く、ロシア時代の住宅そのものでした。冬は寒さが厳しいので暖房はしっかりと入っていますが、社会資本が整備されておらず、下水やお手洗いなどは、驚くほど遅れています。トイレは外にあり、寒い冬は大変な状態です。家のなかは必要最低限の家具のみで、物だらけの日本とは違い、広々としておりました。電化製品は、冷蔵庫とテレビ以外、ほとんど見当たりませんでした。

バクバクティ村にて・現地農家を訪ねて
バクバクティ村にて・現地農家を訪ねて



 その後すぐ、朝鮮系の農家を訪問しました。奥さんのお父さんが北朝鮮からロシアに脱出し、その後、ソビエト連邦の政策により、カザフスタンに移住させられたそうです。年齢は80歳で、日本語の歌を口ずさんでくれました。片言の日本語ができ、小さい頃に日本語教育を受けたとのことです。

 その朝鮮系の一家は13年前まで主(あるじ)が国家公務員をしており、カザフスタンが独立した際に農業に転換したそうです。年収約160万円、米の耕地面積200ヘクタールと、広大な農業経営をしていました。この家にはパソコンが備え付けられており、6歳くらいの男の子がそのパソコンを操作していました。この5000人の村では、2〜3軒の家族にのみ、パソコンがあるそうです。この朝鮮系の農家は比較的裕福な家庭です。国民の収入の格差が激しく、所得配分がうまくいっていません。共存をいかに考え、繁栄に導くかが、これからの課題と感じました。

 住宅は、ほぼカザフスタン系の農家と同じです。特に、女性の私には、トイレが気になりました。社会資本整備が大変遅れています。この村では、朝鮮系の家庭が136軒、約600人近くの人々が住んでいるそうです。ほかにもドイツ系、中国系の人々が農業を営んでいました。彼らが抱えている最大の問題は、農業の多角経営に対し、農業機械が古くなり、使いやすく安価な機械が手に入らず、また資金を安く借りられないことにあるようです。韓国製や日本製がほしいと言っていました。「これは一台、どのくらいしますか?」と質問すると、「一台20万ドルです。」と答えました。彼らにとっては大変高い物です。ぜひ、これらに投資をしていただきたい、という願いが農業省の高官の希望でした。

 彼らが収穫した米は、アルマティに住んでいる朝鮮系のレストランや朝鮮協会に売るそうです。滞在中ご飯が食べたくなり、一度、朝鮮レストランに行きました。とても美味しいご飯で、こんな砂漠地帯でもきちんとお米ができることに驚きました。こちらの米の栽培方法は日本の方法とは違い、直接、種を土にまき、野菜のように栽培し、収穫するそうです。




 米の栽培は水田、という日本の常識を覆すほど、国家として米の栽培に力を注いだことが伺えました。
 もちろん、カザフスタンには農耕民族ばかりではなく、遊牧民もいます。人口にも流動性があるにも関わらず、多種多様で生活様式も違う130以上もの人種の人々がうまく「共存」しているのを感じました。国土は石油、天然ガス、及び鉛、チタンなどの天然鉱物資源に恵まれ、相当な石油の埋蔵量も確認されており、近年、年間10億ドル規模もの石油関連の外国資本導入により、欧米石油メジャーや日系企業が大規模な採掘を開始しています。

 市場経済化は急速に進んでいますが、経済発展のもとには必ず負の遺産が発生します。これまで、エネルギー資源として石炭などの化石燃料を中心に使用してきたことや排気ガスの規制といった法整備が十分ではなかったため、大気汚染が深刻化しています。今後は、いかに環境に配慮した社会整備を進めるか。そして、この地域の伝統的な食料生産と貯蔵、供給、流通システム、道路や下水の整備、農業・工業の技術交流をいかに進展・向上させるかが、重要と感じました。共産圏の国々が持つ特有な共通の負の遺産を克服し、自立した独立国家になるにはまだまだ時間がかかりそうです。






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