政治になんの関わりも経験もなく、その上、地バンやカバンもない私が、政治への使命感と仲間の応援で国会議員になれました。皆さん、どうもありがとう。

大学卒業後、中大の経理研究所に勤務、退職と同時に結婚、夫の勤務地である米国へ。以来20年アメリカから自分が生まれ育った日本をみているうちに、普通の主婦が、普通の感覚で政治に参加することが出来ないものかと考えていました。そんな思いを抱いて93年3月、日本に帰国したときある人にこのままではいけない、日本を何とかしなければと熱っぽく話しましたら私と同じ思いの人が多勢いるところを教えてくれました。それが日本新党でした。反対すると思っていた夫は「あの時、ああしておけばよかったなどと後悔するのが人生で一番良くない。」と強い味方になってくれました。夫が細川さんと大学が同じだったのも幸いしました。子供達も「ママにはママの人生がある。」と強力な支援の声を送ってくれました。

出馬を決意して3ヶ月足らずであっというまに選挙戦に突入。一主婦の初めての選挙。
両親や兄弟、家族に支えられ、春日部女子高と中大の同級生やOBの協力、カナダ人やアメリカ人の助っ人、そして地元の多くのボランティアに支えられての手づくりの選挙戦でした。

選挙の結果、38年間という長きにわたる自民党政権の幕が国民の手で下ろされました。誰に入れても一緒という時代が終ったのです。一票が政治を変える時代の幕あけです。そして生まれたのが細川政権でした。政治改革、行財政改革、税制改革、規制緩和・コメ問題、どれ一取っても自民党政権下で積み残された課題ばかり。ともあれ山積された課題を1つ1つ解決して行くことが連立与党の使命でした。政治改革法がすったもんだのすえ成立したことは戦後の政治史における大きな出来事です。5年余もかけてやっと日の目をみたのです。

議員になって感じたのは、国会というところは分かりにくい見えない慣行が多すぎるということです。議員立法の充実、情報公開と公報の改善、本会議、委員会の運営のありかたなど、分り易い国会への改革も必要です。 そして何をおいても国会を真に国権の最高機関に戻すこと、議会を責任ある論争の場に戻すことが急務だと思います。それには、総選挙で選ばれた全ての議員は対等であることを忘れてはならないと思います。経験や年数等で差をつけたり、圧力をかけたら自由な論争が出未なくなります。また、議員は中央官庁の応援団員になったり、官僚のサーヴァントになってはいけないのです。

国会議員の第一の仕事は国政にたずさわることです。地元には市があり町村があります。今後地方分権が進めば、地元は地元の人達で知恵を出し合って自分の町づくりを行っていかなければなりません。そこに国会議員が干渉しない方が良いと思います。国会議員はいろいろな角度から物事を見聞き判断し、国を正しい方向に導いていく仕事があるのです。

日本経済を立ち直らせるには、政・官・業(財)の癒着の構造を崩さねばなりません。無駄な規制を思い切って撤廃し、物価を下げ、より多くのビジネスチャンスを創り出すことです。

教育の分野では、画一的な教育をやめ、自分の意見を言える子が育つシステムにつくり変えていかなければならないと思います。日本はいったん決ったものを変えるのが下手ですが、外圧を待つことなく、先送りすることなく、勇気を持って改革に力を貸して下さい。

政治は永田町にあるのではありません。あなたの身のまわりにあるのです。

私の政治活動は日本国内だけでなく、ニューヨークはじめ海外にいる多くの人が見守ってくれています。海外投票制度の実施も一日も早く実現したい課題です。

女性の代表として、そして海外にいる日本人の代表として、改革の灯をともし続けたいと思います。

※書籍「日本新党 変革の記録」より転載



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